日本ではよく欧米という形でヨーロッパとアメリカを一括りします。
しかし、アメリカ企業、ドイツ企業それぞれと仕事してきた私の感覚からすると、少なくともアメリカとドイツでは随分仕事に対するアプローチの仕方が異なると感じています。
そこで、私の経験に基づいてアメリカ人とドイツ人の課題へのアプローチの違いをまとめてみました。
(グローバルで仕事をする人が、両国の違いを考える上での助けとなるよう、一般化して述べていて、もちろん例外があることは承知しています。)
アメリカ人とドイツ人の考え方の違い
アメリカ人とドイツ人では、事象に対する着目点の違いが見られます。
未来志向のアメリカ人、原因志向のドイツ人
アメリカ人は未来志向でドイツ人は原因志向です。
こちらのツイートをご覧ください。
何か問題が起きたとき
アメリカ人🇺🇸→仕方ない、次どうしようか?
ドイツ人🇩🇪→なぜこうなったんだ?問題発生のメカニズムは?それだけが理由ではないだろう?
経験上、この辺りのアメリカ人のメンタリティは中国人🇨🇳に近かったです
えっ!それを仕方ないで済ますの?ということ、何度かありました
— セーシン (@n_spirit2004) April 13, 2019
アメリカ人は、起きた問題に対してとやかく言う人は少ない印象です。起きた問題を考えるよりも次にどういう策をうつか、未来志向で考えた方が効率的という考え方です。
一方ドイツ人は、問題が起きると、その問題が起きた理由を知ろうとします。私も何度かドイツ人に問題が起きた原因を説明しましたが、本当にそれだけ?となかなか納得に至りませんでした。
相手をプロとして信頼するアメリカ人
アメリカ人は基本的に相手のことをプロとして信頼します。
したがって、プロである相手が言ったことは裏付けがあってのことだろうと考えます。
納期を例にすると、相手が2週間と言ったら、それがベストの回答だと考えるわけです。そこで2週間では長いとか、そんなにかかるのはおかしいのでは?という議論になることは少ないです。
もちろん、要望として1週間にしてほしいということは言いますが、ダメならダメで仕方ないと考えます。
疑って検証したいドイツ人
一方で、ドイツ人は自分たちが関与することで、よりよくできるという意識を持っている人が多いです。
したがって、相手が言ったことを真に受けずに、本当にそうだろうか?と考えます。
これは相手を信頼しているとか、していないとかではなく、本当にそうなのかきちんと検証したいという欲求なのです。
先ほどの納期の例で、2週間と言うと、
「本当に2週間なのか?」
「もっと短くできるのではないか?」
「その内訳を確かめて短くできる余地がないか考えたい」
と考えます。
こうやって、詳細まで見て納得してたしかに2週間だなと思って、初めて2週間であることを了承するというプロセスです。
上に出したツイートの例でも、ドイツ人と話している側からすると疑われているのではないか?と感じてしまうのですが、ドイツ人は物事の真理を追求したいという思いから、なぜ?を連発してきます。
ツイートにも書いたように、この点におけるメンタリティは、アジアに置き換えると中国人がアメリカ人に近く、日本人がドイツ人に近いという感覚です。
両者のスタイルの一長一短
これだけ見るとアメリカ人は物分りがよくて、ドイツ人が面倒くさい人達にも見えます。
私も最初はそう思っていました。
ところが、一緒に仕事をしていくと次のようなことがわかったのです。
何か問題が起きたとき
アメリカ人🇺🇸→仕方ない、次どうしようか?
ドイツ人🇩🇪→なぜこうなったんだ?問題発生のメカニズムは?それだけが理由ではないだろう?
経験上、この辺りのアメリカ人のメンタリティは中国人🇨🇳に近かったです
えっ!それを仕方ないで済ますの?ということ、何度かありました
— セーシン (@n_spirit2004) April 13, 2019
アメリカ人は大雑把に理解できたら、次のステップに進むという感覚で仕事をするがゆえに、説明に対する理解が不十分なまま先に進むケースが多々ありました。
そして、後工程になってから、理解の相違によって手戻りが起きるということを何度か経験してきました。
反対にドイツ人は最初はとてもうるさいです。納得できないからもっと説明しろと要求してくるので、私も説明が面倒くさいと思ったことが一度や二度ではありませんでした。
しかし、最初に仕様上の細かい話を理解した上で仕事を進めるので、後工程での致命的なトラブルは少ない印象がありました。
これに関してはフォロワーさんの小林さんが以下のように補足してくれています。
たしかに、
アメリカ人→意思決定早く、例えが理解できて分かりやすいプレゼンすれば話早い。
ドイツ人→どちらかというと日本人に似てて、細かく、マメ。表情からも分かりづらい。
というざっくり印象。
— 小林基樹@管理会計×マーケ (@BCsuginami) April 13, 2019
異文化理解力でも語られるアメリカとドイツの違い
ここに書いたことに関連することが、「異文化理解力」という本にも書かれています。
本の中で、アメリカ人の女性がドイツ人の役員に対してプレゼンをする場面が描かれているところがあります。
そのアメリカ人のプレゼンに対して、ドイツ人の役員達から質問が来ます。
どうしてそのような結論に至ったのですか?あなたは私たちに提案をしていますが、どうしてその結論になったのか理解できません。何人に聞き取り調査を行ったのですか?どんな質問をしたのですか?
私も経験があるのでわかりますが、いかにもドイツ人らしい質問です。
これに対するアメリカ人の反応が以下のように描かれています。
私は提案の基礎になった方法は確かなものだと保証したけど、質問や異議が止まらなかった。彼らに質問されるたび、自分の信頼性が疑われているじゃないかと思えてきて、戸惑うと同時に腹が立ってきたの。私が工学の博士や専門知識を持っているのはまわりもよく知っている。私の結論を何度も確かめる彼らの行動に、私は、本当に敬意の欠如を感じたわ。私よりよい判断ができるなんて思うのは傲慢よ。
先ほど書いたように、アメリカ人は相手をプロとして信頼する人達なので、相手からもそのような対応を求めるのでしょう。
そのため、疑い深く確からしさを追求したいドイツ人の質問に対して、信頼感の欠如、もっというと無礼ですらあると感じているのです。
両国の会社とのビジネスを経験してきた私からすると、非常に納得感のある描写ですし、実際に以下のような場面に遭遇したこともあります。
ドイツ人とアメリカ人が同席の会議
アメリカ人のプレゼンで、ドイツ人が「やり方が古い」、「競争力がない」と批判を交え質問、アメリカ人が「一度工場に来い、俺が1日で全部叩き込んでやる」くらいのこと返していました
日本人だったら笑顔で検討しますだろうな、これが世界なんだなと思った出来事
— セーシン (@n_spirit2004) April 13, 2019
アメリカ人からすると、相手を疑ってかかるような質問の仕方に、相当イライラしていたのだと思います。
まとめ
今回あげた例は両国のビジネスパーソンを一般化した特徴で、冒頭に書いたように全員にあてはまるわけではありません。
しかし、こうした傾向を把握しておくことで、何の予備知識も持たずに対峙するより幾分かは効率的に仕事を進められるのではないでしょうか。
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