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アドラーの名言から考える生き方「嫌われる勇気」書評・感想

アドラー心理学とは、アルフレッド・アドラーが生み出した「個人心理学」のことで、苦しみの原因を「トラウマ」に求めないなど、他の心理学とは一線を画した独自性があります。

そのアドラー心理学を物語形式でわかりやすく解説しているのが、「嫌われる勇気」という本です。

この記事では、「嫌われる勇気」に掲載されているアドラー心理学の多くの名言を引用しながら、私なりの解釈も加えていきます。

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アドラーの名言

アドラーの名言を引用を私の経験も踏まえて書いていきます。

これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない

アドラーは心理学で用いられるトラウマを真っ向から否定しています。

いかなる経験も、それ自体は成功の原因でも失敗の原因でもない。我々は自分の経験によるショック ーいわゆるトラウマー に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。

自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えより引用 (以下、引用部分は全て同じ)

アドラーの考えにあるのは、原因論ではなく目的論です。

原因論は、ある原因があったから今の行動や感情を生み出しているという考え方であるのに対して、目的論は、ある目的のために今の行動や感情を生み出しているという考え方です。

その目的のために、過去の経験に意味づけをしているのだそうです。

言い換えると、アドラーによると、トラウマとは、ある目的のために過去の経験を意味づけたに過ぎないものだというのです。

たとえば、私自身も小学生時代の家庭環境や成績は悪かったのですが、この過去に対して、私は大きく2つの意味付けをできます。

  • あの経験があったから、今も精神的に強く生きられる
  • あのときの環境があったから、今も自分はダメなのだ

アドラーの目的論から考えると、現時点の自分がどうしたいか?そのために過去をどう引用するか?という話でしかないという解釈になります。

つまり、過去の経験をトラウマとして捉えずに、今日からでも前者のようにプラスに意味づけることで、人生が変われるということを示唆しています。

これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない。

私も自分の過去を極力ポジティブに捉えるようにしています。

大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである

人間が持つ固有の前提条件というのは、簡単に変えられるものではありませんが、それに関してアドラーは次のように言っています。

大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである

この点については、以下にツイートしたとおりです。

アドラー心理学を読み返していますが、「大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」に尽きるんですよね

資産、人脈、道具、年齢など、人にはさまざまな前提条件はありますが、それらを理由に挑戦をやめるか、活用方法を考えるかが成功への分かれ道だと思っています

「あなたは恵まれているよね」とか、「◯◯さんみたいだったら」という言葉をよく聞きます。

人間がこのように考えてしまうことを否定はしませんが、考えている暇があるなら、今から自分がよいと思う対象となる人に少しでも近づける努力をするべきなのでしょう。

人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである

アドラーは、人間の悩みの根源を、対人関係であると言い切っています。

人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである

この中の最たるものが、「他者から嫌われ、対人関係の中で傷つくことへの恐れ」だそうです。

実際に、「明日のプレゼン、うまくいかなかったらどうしよう」という悩みは、聞いている人から笑われないか?バカにされないか?という感情が根底にあるのでしょう。

優越性の追求も劣等感も病気ではなく、健康で正常な努力と成長への刺激である

アドラーは、人に対して劣等感を持って、人よりもよくなりたいと思うのは人間として当然だとしています。

優越性の追求も劣等感も病気ではなく、健康で正常な努力と成長への刺激である一方で、その劣等感をやらない言い訳にしてしまうことを劣等コンプレックスと言っています。

これは私自身もよく陥ってしまうものですし、まわりの人を見ていても本当に多いです。

私の年代になってよく聞くのは、以下のような言葉です。

「もう歳だから」

「僕には経験がないから」

歳をとってしまったとか、経験がないというのはある種の劣等感なのでしょうが、多くの人はアドラーが言うところの劣等コンプレックスを持ってしまっているのでしょう。

もしも自慢する人がいるとすれば、それは劣等感を感じているからに過ぎない

人は劣等感の持続には耐えられないそうです。

劣等感を長く持ち続けることに我慢できる人は誰もいない

こうなると、人は逆に優越コンプレックスを持つようになる、簡単に言うと、人に過度に自慢をする態度をとるのだそうです。

先ほど、私があげた年齢の例で考えると、次のような態度のことでしょう。

「年齢を重ねている俺は偉い、若いお前なんてまだまだ」

もしも自慢する人がいるとすれば、それは劣等感を感じているからに過ぎない

ちなみに健全な劣等感とは、次のようなものだとしています。

健全な劣等感とは、他者との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれる

わたしたちの文化において、弱さは非常に強くて権力がある

自分が恵まれていないという自覚を強く持っている人は、不幸であることで人の優位に立とうとするそうです。

再び年齢に例で考えると、

「俺には、こんな辛い過去があって、気づいたらこんな年齢になってしまったのだ」

という感じでしょうか。

わたしたちの文化において、弱さは非常に強くて権力がある

人間社会には、弱いものは保護の対象になるという文化があるので、弱さを強調する人というのは他人からの保護を求めているのです。

しかし、その思考でいる限り、人は永遠に何らかの不幸を必要として生きていく必要があるのだそうです。

さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避する事態は「人生の嘘」である

アドラーは、人生には「仕事」、「交友」、「愛」という3つのタスクがあり、この3つを乗り越える必要があるとしています。

他者や環境のせいにして、これらのタスクから逃げてしまうことを人生の嘘だと言っているのです。

さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避する事態は「人生の嘘」である

われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」

アドラーは承認欲求を明確に否定しています。

むしろ、他者の期待などを満たす必要はないと明確に言い切っています。

われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」

そして、また以下のようにも言っています。

他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」

詳しくは次の名言とともに見ていきます。

われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題を分離していく必要がある

アドラーは、起きている事象が自分の課題なのか?他者の課題なのか?を明確に分離せよと言っています。

われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題を分離していく必要がある

たとえば、自分が自由に振る舞った結果、誰かが怒ったとしても、それはその人の課題であって、自分の課題とは無関係であるということです。

一方で、誰かが自由に振る舞っているのを見ても、それはその人の課題であって、自分の課題ではないので、コントロールできないというわけです。

目的論からすると、そこで怒るというのは、他者の課題をコントロールしようという目的が働くからなのですが、そうすると対人関係はうまくいかないとしています。

あらゆる人間関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと ーあるいは自分の課題に土足で踏み込まれることー によって引き起こされます

ネット上では、この「課題の分離」をできていない人が大変多く、芸能人のスキャンダルに対して怒りをぶつけたり、説教じみたことを言ったりする人がいます。

しかし、そのスキャンダルは「その人の課題」なので、実際のところ「自分の課題」とは全く無関係なのです。

こう考えると、世の中のニュースに怒りをぶつけても何の生産性もないことだというのがわかります。

他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。

自由とは他者から嫌われることである

ここまでのところを突き詰めると、自由に生きる、自由に振る舞うとは、他者から嫌われる(可能性が高くなる)ことになります。

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。

他者から嫌われるのを怖れて自由を縛るのか、自由を得るかわりに他者から嫌われることを選択するのかという話です。

自己への執着を他者への関心に切り替えていく

ここまでのアドラーの言葉を見ると、個人主義、孤立主義的な考えに見えます。

しかし、上記のような考えの一方で、アドラーは共同体感覚というものを提唱していて、所属する共同体に対して積極的な貢献をしようと言っています。

悩みの根源が対人関係であるのは、幸せの根源も対人関係にあるということを示すというわけです。

ここでいう共同体とは、今の家庭や会社のような目の前に見えているものだけでなく、目には見えないつながりまで含んでいるとしています。

人は、自分には価値があると思えたときだけ、勇気を持てる

どんなときに自分には価値があると思えるのか。

アドラーは次のように言っています。

人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えたときこそ、自らの価値を実感できる。

先ほどあげた広い意味で共同体を捉えて、そこに何らかの貢献ができているという感覚があると、自分を価値ある存在だとして認められるようになるというわけです。

あなたが始めるべきだ、他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく

共同体感覚を持って、共同体の中にいる他者に貢献するというと、一方的に与えるだけで見返りがないのではないかと不安に思ってしまいますが、それに対するアドラーの答えがこれです。

あなたが始めるべきだ、他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく

損得を考えずに、まず与えよというわけです。

アドラーは、他者を信じるにあたって、一切の条件をつけないことが肝要だとしています。

なぜなら、相手を一方的に信用した結果、相手も信用してくれるのか、裏切るのかは、「相手の課題だから」、つまり自分ではコントロールできない問題だからです。

しかし、こうした姿勢が他者と対等で健全な関係を作ることにつながるのだとしています。

他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものである

他者への貢献は自己犠牲ではないということです。

もっともわかりやすい他者貢献は仕事で、人は仕事を通じて自分の価値を実感している。

もし自己犠牲をして貢献している人がいたら、その人の根底には、

「こんなに頑張っているだから、認めてくれるはず」

という承認欲求があるのでしょう。

一般的な人生の意味はない、人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ

アドラーは、人生とは連続する刹那であり、その瞬間瞬間は点で、過去や未来とは切り離されていると主張しています。

したがって、人生の意味を一般化してとらえることなど不可能だというわけです。

一方で、個々人の人生には、個々人がそれぞれ意味づけをすることは可能だと言っています。

スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業生に向けたスピーチの中で、「目の前のことを必死にやっていたら、後になって点と点がつながって線になっていた」という話があります。

ジョブズの場合、目の前のことを一生懸命やってきた結果を線でつながったという意味づけをしたのでしょう。

世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない

  • トラウマを理由にする原因論から目的論で考える。
  • 与えられたものではなく、持っているものに注目する
  • 他者の課題と自分の課題を明確に分離する
  • 他者から嫌われる勇気を持つ
  • 共同体にいる他者への貢献を考える

これまで挙げたきた上記のようなことを実践すると、現実の世界は変わっていなくても、世界が全く違って見えてくる。

つまり、自分が変わった瞬間に、世界が変わるというのがアドラーに主張になります。

まとめ

以上がアドラーの名言とともにまとめたアドラー心理学でした。

この記事の参考にしたのが、「嫌われる勇気」では、哲人と青年の対話をベースにアドラー心理学が解説されています。

青年は物語中、アドラー心理学を知った多くの人が示すであろう拒絶反応を示し、哲人がひとつずつ丁寧にアドラーの教えを説いていくという形式です。

アドラー心理学を理解するのにうってつけの一冊です。

こちらの本は、Amazonオーディブル(30日間無料体験)で聞くこともできます。

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